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 お見合いの日が来た。時間というものはあっという間のもので、気がつけば、私は一葉にあれこれ言われながら、準備をしていた。
 「お嬢さん、髪は乱れていないですか。帯の締め具合は大丈夫ですか。櫛は持ちましたか。私があげたお守りも持ちましたか」
 家を出る直前も一葉は、私よりもそわそわして、心配していた。
 「大丈夫だから、ありがとう」と言って、私はお父様と一緒に迎えに来た駕籠へと乗った。


 駕籠が止まり、「着きました」と言われ、駕籠から降りる。着いたのは人が多い神社だった。どうしてこんなところに?と疑問に思いつつ、お父様を見た。
「見合いはな、こういった人の多いところで会い、偶然を装って同じ店に入るんだ。ここの神社内には茶屋がある。今日はそこで見合いを行うらしい」
 なるほど。そういうことなのか。確か、見合いというものは、相手の人とはしゃべることなく、容姿やしぐさを見るだけだと聞いたことがある。じゃあ、偶然を装って同じ茶屋に入って何をするのだろう。ただ見ているだけ、というのは端から見ればおかしいのでは?
 お父様の後についていきながら、そんなことを考えていると「おお、大村殿ではないですか」とお父様が言った。お父様が声をかけたその方向を見ると、中年の男性と私と同じくらいの若い男性がいた。
「これはこれは。寺田殿も参拝ですかな?」
「ええ、娘と一緒に参りました」
 お父様とその中年男性は、にこにこしながら挨拶を交わした。
 お父様に背中を押されて前に出た。「春、あいさつしなさい」と言われ、二人にぺこりとお辞儀をする。
「寺田春でございます」
「おやおや、これは可愛らしいお嬢さんですな」
 顔を上げると中年男性はにこにこと笑って言ったが、目が笑っておらず、値文をするようにじろじろと見られてしまった。
 (嫌だなぁ)
 顔をしかめそうになったが、なんとか笑顔を作る。
「春、こちらのお方は、大村殿とそのご子息の清十郎殿だ」
 そう言われて、清十郎殿を見て、同じようにお辞儀をする。清十郎と紹介された人は、私より背が高く、凛とした顔つきに腕を組んで無愛想な様子だった。一瞬目が合うも逸らされてしまう。
 (なんでこんな人が私を……?)
 不安な気持ちや疑問が浮かぶ中、「立ち話もなんですし、よろしかったら、そこの茶屋でお茶でもいかがですか」とお父様が提案し、「まぁ、せっかくだから入ろうか」と光明様が返事をした。そうして、四人で近くの茶屋へと入ることになった。
 茶屋に入っても、喋るのはお父様と光明様ばかりで私と清十郎様が話すことはなかった。ただ、お父様たちが会話している間、清十郎様はじっと私のことを見つめていて、私は居心地悪く感じていた。
 (なんなんだろう)
 たじろぎながら、こそっと清十郎様の様子を窺った。すると、ばっちり目が合ってしまった。慌てて逸らそうとすると、私より先に清十郎様のほうが顔を逸らしてしまった。
 本当になんなんだろう、と首を傾げながら、私の清十郎様に抱いた印象は「不愛想で変な人」だった。
 清十郎様が一体どんな人なのか深く知ることもなく、「では、そろそろ私どもはこれで失礼させて貰おう」と光明様の一言で、お父様たちの時間(お見合いの時間というより、お父様たちの時間と言ったほうがしっくりくる)は終わった。茶屋代は、お父様が持つことになり、光明様たちが店を出た後に私たちも会計を済ませてから店を出た。
「見合いは、どうだったか、春」
「うーん、お見合いで相手を見極めるというものは難しいですね」
 本当に会話ひとつできず、一体何のために会ったのか不思議なものだった。清十郎様は私のどこを見て、好きになったのだろう。それすらもわからなかった。なれそめのようなものを聞けたらよかったのだけれど……。
 店を出て、神社も出ようとしたところ、神社の入り口に清十郎様が立っているのが見えた。入り口にある石柱にもたれ掛って立っている姿は、どこか浮世離れしているように見え、ぼうっと見つめてしまった。
「春、私は先に帰る」と父様の声でハッとなる。
「お父様!?」
「清十郎殿と少し話をしてから帰ってきなさい。どんな人なのか見極めておいで」
 そう言ってお父様は、私を置いて先を行き、清十郎様に会釈をしてから神社を後にした。お父様とすれ違った清十郎様が私のほうに気が付き、会釈をした。私もつられて、ぺこりとお辞儀をする。
「あの……」
 なんて話を始めたらいいのだろう。近寄って、そばに来たものの、わからない。
 ――本日はありがとうございました。
 何も喋らず、ただ見つめらていただけなのに?
 ――どうして、私と?
 いきなり聞くのはおかしいかな?
 ――本日はお日柄もよく
 ……?
 思い浮かばない。何を言ったらいいか、考えているうちにわけがわからなくなってきた。一人で自問自答していると、上から声が降ってきた。
「急にすまなかった」
 え、といつの間にか俯いていた顔をあげると、清十郎様が私をじっと見ていた。最初に見たときも思ったが、なんて澄んだ目をした人だろう、と思った。私は思わず、見つめ返した。が、清十郎様はすぐさま視線を逸らしてしまった。多分、お互いが見つめ合ったのはほんの一瞬だ。
「あ、あの……?」
 やはり、どう接したらいいのか分からず、私はうろたえる。
 (毎回、顔を逸らしたり、目を逸らしたり、私は実は嫌われているのでは?)
 こんな人と結婚なんて難しいんじゃ、と不安になった。
「いや、違うんだ。すまない。貴女が、その……」
 (私がなんだろう)
 清十郎様は、顔をフイッと背けてしまう。
「……」
 (やっぱり、嫌われてるんじゃ……)
 不安が増しつつあるが、言葉の続きが気になり、清十郎様の言葉を待つ。
「……美し……い……から……」
「……っ!」
 消え去りそうな声で出た言葉はしっかりと聞こえてしまい、顔が熱くなるのを感じた。そんな言葉、まともに言われたことがなかっただけに照れてしまう。
「……褒めても、何も出てきませんよ……」
 照れてながらも、やっと出た言葉がそれ。なんて色気のない。
 だが、そんな私をよそに清十郎様は「そんなつもりはなくてだな、ただ本当のことを言ったまでだ」と再び私のほうを見た。その顔はやや赤くなっており、私はじっと見つめてしまう。すると、清十郎様はまた顔を背けてしまった。
 (もしかして……)
 そうっと、回り込んで、清十郎様の顔を除くと、今度はばっちりと目が合い、清十郎様の顔は真っ赤だった。
「な……っ!」
 清十郎様は、顔を隠すように片手で口元を隠した。
 なんだかその様子は、最初見た凛とした顔つきに不愛想な人には見えなくて、どこか愛しいとすら感じるほど可愛く見えてしまった。
 こんな人に私は「不愛想で変な人」という印象を持ったことが可笑しくなり、「ふっ」と吹き出し、「ふふふふっ」と笑い出してしまった。
「……!? わ、笑うな!」
 私が笑い出したのを見て、清十郎様は困った様子で「どこが可笑しい!」と私に言った。だが、その様子も可笑しく見えてしまって、笑いが止まらない。
「ふふ、ふふふふっ」
 私が笑い続けているのを見て、清十郎様はフッと笑って、「やはり、貴女でよかった」と呟いた。
 のちに聞いた話によると、清十郎様は私に一目惚れをして、私の顔を見れば顔が赤くなり、その様子を馬鹿にされてしまうのでは、と必死に隠そうとしていたのだという。昔から、好きな女性の前にすると顔が赤くなってしまうことが多く、それを馬鹿にされてしまったことがあったのだとか。
「こんな私だが、私と結婚してくれないだろうか」
 清十郎様は私の前で膝をつき、手を取った。
 この結婚は私の意志に関係なく執り行うことができるはず。こんな清十郎様よりも身分が低い私に膝をつかなくてもいいはず。なのに、彼は私の意志を尊重しようとしてくれる。
 (善之助の言った通り、いい人なのね)
 この人になら、嫁いでも大丈夫。
 どっちにしろ、拒否することができないのだが、私はちゃんと自分の意志でこの人の元へお嫁に行くことを決めた。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
 私は、深々と清十郎様に頭を下げた。

 

 そうして結納が行われ、私は清十郎様の元へ嫁ぐことが正式に決まった。そして結婚の日取りが決まり、月日はあっという間に過ぎていった。
 結婚式の日。
 天気に恵まれ、今日は穏やかな晴天だった。
 緊張してかその日はいつもより早く目が覚めた。
 今日の段取りとしては、私の家で化粧や着付けを行い、白無垢となってから、迎えに来た駕籠に乗って、清十郎様の元へと行くことになっている。
 私は、起きてから、今日で最後になるであろういつもの縁側に向かった。すると、縁側のそばでは庭掃除をしている一葉の姿があった。
「おはよう、一葉」
 せっせと箒を掃いている一葉に声をかけると、少し驚いた様子で「お嬢さん、おはようございます。今日は早いですね」と手を止めて返してくれた。
「ふふふ、なんだか早くに目が覚めてしまったの」
 そう言って、私は縁側に腰を掛けた。
「昨日はよく休めましたか?」
「ええ。早いうちから休んだし、眠くはないわ」
「あ、お茶を入れてきますね」
 箒を置いて、家へ入ろうとする一葉に「待って」と声をかける。
「一葉、お茶はいいの。少し、話をしない?」
 隣に座るよう促すと、一葉は躊躇しつつ、一つ頷いて隣に座ってくれた。
「こうして一葉と縁側で話すのも今日で最後だと思うと寂しくなるわね」
「よくお嬢さんとここでお菓子を食べながら、善之助殿の話を聞きましたね」
「ふふふ、だって、聞いてくれるのは一葉だけだもの」
 私の話し相手はいつも一葉だった。一葉がいてくれたから、私は安心して善之助のもとへ遊びに行けた。きっと一人だったら、ずっと家にいたのかもしれない。
「俺だって、お嬢さんから話を聞くのが楽しみだったんですよ。たとえそれが善之助殿の話ばかりだとしても」
「もう。善之助のこと、もう少し認めてはくれないの?」
「全然。米粒にもあの方のことを認めるつもりはないです」
 大げさに嫌そうな顔をする一葉が可笑しくて、くすくすと笑ってしまう。
「お嬢さん、今日が最後と言わず、困ったことがあったらいつでも帰ってきていいんですよ。旦那様も言っていたでしょう?」
「ええ。そうね、困ったときはここに戻ってくるわ。その時は、一葉には将棋の相手をしてもらわなくちゃね」
「……困ったな。それでは、旦那様に将棋を鍛えてもらって、お嬢さんにがっかりされないように努力しておきますよ」
 いつも一葉には将棋の相手をしてもらった。でも、いつも負けるのは一葉のほうで、一葉はいつも困っていた。そんな一葉が好きで、何度も将棋をしてほしいって頼んだ。一葉は一葉なりに私に勝とうと頑張っていたけど、結局今のところ私の全勝。
「一葉、私がいなくなっても寂しいってお父様に泣きついてはだめよ?」
「何を言うんですか! それはこちらの台詞です。お嬢さんこそ夜な夜な泣かないでくださいよ」
「うーん、泣いてしまうかも」
「え」
 素直にそんなこと言ったら、一葉が固まってしまった。そういう時はどうしたらいいとか助言したくてもできないのだろう。
「ふふふ、大丈夫。私には旦那様がいるもの」
「……そう、ですね」
 そう。嫁いだら、私の頼りになる人は清十郎様しかいなくなる。だから、嫁いだらちゃんと清十郎様と絆を深めて、ちゃんと尽くそう。
「……」
「……」
 話が途切れ、無言になってしまう。思い出を振り返れば、いろんなことが浮かぶ。でも、思い出話をすればするほど、離れがたくなってしまうからしない。一葉もきっと同じことを思ってくれていると思う。
 近くの木に雀が止まり、チュンチュンと鳴いている。
 生暖かい風が吹いて、私の髪を撫でていった。
 近所の人が雨戸を開ける音が聞こえる。
 空を見上げれば、眩しい太陽が見え、木に止まっていた雀が空を飛んだ。
 何気ないこの日常が愛おしかった。ここでの生活がとても幸せだった。
「お嬢さん」
 しみじみと思いに浸っていると、ふいに一葉が呼んだ。一葉のほうをみると、いつの間にか一葉は地面に正座していた。
「ご結婚おめでとうございます」
「一葉……?」
「お嬢さんが物心つくころからそばに置かせてもらって、今日まで俺はお嬢さんのお傍に仕えることができたことを誇りに思います。お嬢さんがお嫁に行くまでの幸せを守ることが俺の大切な役目でした。ここから先の幸せは、清十郎様の役目であり、お嬢さん次第ですが、どうか……どうかお幸せに」
 そう言って、一葉は「この度は、真におめでとうございます」と地面に頭をつけそうな勢いで深く頭を下げた。
 泣いているのでは、と思ったが、次に顔を上げた一葉の顔には満面の笑みが浮かんでいた。


 とうとう家を出る時が来た。
 家から出ると、玄関の前には友達や親戚の人、近所の人が道を作るように並んでいた。その中には善之助の姿はなく、代わりに貞吉の姿があった。
 みんなの前をゆっくり歩いていく。白無垢が重くて歩きづらい。綿帽子で前が見にくく感じた。でも、立ち止まらない。
 お父様にお見合いの話を聞いてから今日まで本当に一瞬の出来事のようだった。
 お父様には幸せを願われた。
 善之助には幸せになることを保証してくれた。
 一葉には自分で幸せになるよう言われた。
 みんなには私の幸せを祝福してくれた。
 私はなんて幸せ者なのでしょう。これ以上の幸せはない。
 気が付いたら、頬を涙が伝っていた。
 私は本当に泣いてばかりだな、と内心で苦笑した。
 泣いてはいけない。笑わなきゃ。幸せを願うみんなが見たいのは泣き顔ではない。これが最後になるのなら、ちゃんと笑顔でさよならしなくては。みんなの記憶に残るのが泣き顔の私ではだめだ。
 駕籠の前まで来た。ゆっくりと振り返る。
 楽しかった日々を思い出し、笑いなさい。そう自分に言い聞かせる。
「今までみなさんありがとうございました。必ず、春は幸せになります」
 目の前がにじむが、気にしない。私は今までにないくらいみんなに笑って見せた。
 そして、ゆっくりと駕籠のほうへ向きなおり、駕籠に乗った。
 ――大丈夫。綿帽子で隠れてしまっているけれど、ちゃんとあの簪はつけているから。
 

雨のち晴れ(下)  byお春

​著 なみな
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