top of page

「お母さま、最近ブランがね、楽しそうにどこかへ出かけていくの」
「あら、そうなの」
「でね、どこに行ってるのかって訊いても教えてくれないの。あのブランがよ! あたしに隠し事してるの。しかも、あたしが仕事してるときに行ってるらしいの。まるで見計らったように! あの可愛いあたしのブランが!」
『おかあさま、ぶらん、はくばのおーじさまとけっこんする!』
『それはどんな人?』
『あのね、おひめさまがあぶないときは、たすけてくれるんだよ。それでね、おひめさまも、おーじさまがくるしんでいたら、たすけるの』
 遠い昔、幼いブランが目を輝かせながら語った素敵な物語。
(素敵な王子さまを見付けたわね、ブラン)
 娘が憤っているさまにグリは笑みを浮かべた。
「なにがおかしいの、お母さま」
「ノアも、そんな素敵な時間ができるといいわね」
「へっ?」
 鈍感な娘は、まだ自分を想ってくれている存在に気付いていないらしい。
 風に乗って、森の声が運ばれてくる。グリはまた、一層笑みを深めた。
(わたしたちのように、娘たちは素敵な恋をしているみたいですよ、死神さま)

 

 電話の音が鳴り響く。しかし、洗い物をしているため、手が離せない。
「ぜんちゃーん、電話出てもらってもいいですか?」
「分かったー」
 赤いパーカーを着た黒髪おかっぱの外国人が居間に入ってきた。名はエリザベス。出会った詳細は省略するとして、彼女は今、この真家祥太郎(まかしょうたろう)の家に住んでいる。ただでさえ大家族なのにもう一人家族が増えて、真家家はさらに賑やかだ。家族ともども「ぜんちゃん」と呼ぶようになったが、なぜそうなったのか、それはまた別のお話。
 エリザベスはマイペースにとことこ歩いて電話の前まで来ると、がちゃり、と受話器を取った。
「はい、真家です」
 洗っていた皿をがちゃんと落とした。幸い割れはしなかったが、突然のことに動揺してしまった。
(『はい、真家です』の破壊力!)
 小学生に間違えられて「わたしはコーコーセーだ」と憤っているエリザベスを見ながら、祥太郎は思わず微笑んでしまう。
 電話を切ったそのあとで、思わずそのことを喋ってしまうと、エリザベスは一瞬きょとんとしてから、にかっと笑った。
「いつか、わたしを『真家エリザベス』にしてくれるのだろう、祥太郎?」
「えっ!?」
 ただのエリザベスだった彼女が、真家エリザベスになるのは、また別のお話。

 

 洗い物をして、洗濯をして、アイロンをかけながら、エリザベスが脱ぎ散らかした服を片していく。
 買い物から帰ってきたエリザベスから荷物をふんだくって冷蔵庫に入れていく。どうせ彼女に任せていても結局整理するのは自分なのだから。買い物にしても、余計なものを買わなくなったのはここ最近だが、自分がいないときを見計らって無駄なものを買うときがある。しかし、初めて買い物をするエリザベスを見るのは楽しかった。ドレミファソラシドドシラソファミレドと例の番組の音楽が脳裏をよぎり、思わずハンカチを取り出したほどだ。
 そのまま米を研ぎ出そうとしたエリザベスに気付いて、彼女の両肩をつかみながら洗面所へと連れて行く。手を洗わせ、うがいをさせ、米研ぎの様子を見る。
(あっ、そのままだと米が)
 結局、これも自分がやることになった。
 気付いたら腹を出してエリザベスが寝ていたので、はあと溜息をついてから、起こさないようにカメラに収めていく。
(おっ、このアングルもよいな。ああ、よだれが出ていても可愛い、私のベティ)
 調子に乗って撮っていると、ひょいとカメラを取り上げられた。
「なにしてるんですか、アーロン先輩。いい加減、やめてください」
 むっとした。
「兄なのだから、寝姿くらいカメラに収めてもよいだろう! このお邪魔虫!」
 この男はエリザベスの恋人、もといアーロンにとっては邪魔で邪魔で仕方ないへなちょこ、目の上のたんこぶである。人間のくせにエリザベスをモノにして、数百年一途に想ってきたアーロンの気持ちを踏みにじった男である。
「プライバシーというものがあるでしょう。ぜんちゃんが起きたら、先輩がこんなことをしていたって言ってもいいんですか?」
「ぐっ……」
(可愛い可愛いベティがへなちょこの肩を持つからといい気になって!)
 なにか言ってやろうと口を開きかけたところでエリザベスが目を覚ました。うーん、と寝返りを打ちながら、ぱちりと目が合った。そのまま起き上がって駆け出し、両腕を広げたアーロンの脇を通りすぎて男のほうに飛び付いた。
「祥太郎、おかえり!」
「ただいま、ぜんちゃん」
 彼女を受け止めながら、横目でどやあ、とにやけるへなちょこを見て、腹が立って立ってしょうがなかった。
「し、仕方ないだろう! ベティにはもう私の姿が見えないのだから! 私が隣にいたら、ベティだって死神の元コンビで、兄で、情もある私に飛び付くに決まっている」
「あれ? アーロンは?」
「ああ、帰りましたよ」
「はああ!? ここにいるだろう、私は! ここにいいい!!」
「そうか、帰ってしまったのか。今日はカレーだから、久々にアーロンと一緒に食べようと思っていたのに」
 しょぼん、と肩を竦めるエリザベスを見て、アーロンはそっとハンカチを取り出し、涙を拭った。
 祥太郎は溜息をつくと、微苦笑を浮かべた。
「嘘です。先輩、まだここにいますよ」
「えっ、そうなのか?」
「えっ、お邪魔虫?」と、びっくりしてアーロンまで顔を上げてしまう。
「先輩と一緒にカレー、食べましょうか」
「うん! アーロン、一緒に食べよー!」
(ああ、愛しのベティ。姿が見えなくなっても、私への愛は変わらない)
 ちら、と祥太郎を見やる。こういうところだけは、へなちょこを認めてやらんでもない。ベティはやらんけどな!

みんな恋をしている

​著 おうめ
bottom of page